2007年07月

2007年07月31日

1ヶ月の語学研修もおわり


明日から8月ですね。
日本では蒸し暑い日々が続いているかと思います。

ここブルキナはいま雨期なので毎日のように雨が降り、すぐ晴れ間が見える日も、
一日中バケツを返したような雨が降っている日もあります。
でもいずれにしても「恵みの雨」で、雨が降って洗濯物が乾かない!と
嫌な顔をする人は日本人の私たちくらいかもしれません。

ニジェールにいる友達から聞いたことですが、
ニジェールでは、雨が降ると、「今日はいい天気ですね」というそうな。
日本では聞かれない発想ですね。



さて、7月4日から始まったブルキナ第二の都市・ボボデュラッソでの語学研修も
今日、最終テストが無事(かは分かりませんが)終わって、
明日首都のワガドゥグに戻る日となりました。
(ボボからワガドゥグまではバスで5時間)

ここボボでの研修はあっという間で、
笑いあり涙あり下痢もゲロもありの1ヶ月間でした。(表現が汚い?)


ここで得た教訓は、

 ― やっぱり体が資本
    (病気のときは本当に体力も気力もガクンと落ちて何もできなくなる。
     しかも、ここの病院は100%信用できない。自己管理怠るべからず!)  

 ― 「2年間あるから焦らなくてもいいじゃん」思想は捨てるべし
(そうやってフランス語の勉強をけっこう怠けてしまって、
     1ヶ月で思ったほど語学力が伸びなかった。
     いまやらなければいつやるのだ、ぶるとも!)

 ― もつべきものは友
    (病気のときも悩んだときも助けてくれたのは同期仲間だった。
     ありがたかった。私もそういう存在でありたい)


などなど。
当たり前のことに改めて気づかされた1ヶ月間といえましょうか。
村でのホームステイや遠足や自分の誕生日や夜の大熱狂カルタ大会?など、
いろいろ盛りだくさんで本当に楽しかったです。


首都に戻ってからの一週間は、省庁訪問(ブルキナ外務省や私がお世話になる
環境・生活環境省にあいさつに行く)やJICA専門家によるオリエンテーション、
家具の買い出し(ベット、マットレス、冷蔵庫など)などで予定が埋まっていて
またあっという間に過ぎてしまいそうです。


任地に行ける日が、いまから楽しみです。


【追記】
前回のブログで2キロ痩せたと書きましたが、あれは勘違いでした・・・。
病院に行ったときに計ったときは確かに2キロ痩せていたはずでしたが、
昨日日本製の体重計で測りなおしたら、体重の増減ゼロでした。
どうやら病院の体重計が少し狂っていたのかと。
ぬか喜びに終わってしまって、昨日はちょっと落ち込んで、
ポテチとチョコを食べすぎてしまいました。(最悪じゃん)


552e74c1.jpg

↑研修所の先生、スタッフと私たち

048c2eaf.jpg

↑フランス語担当のお上品Solange先生と下品な生徒約3名。
あ、私、おとといにアフリカンヘアをほどいて普通の日本女性に戻りました♪
(お父さんお母さんご安心ください)

116f1d10.jpg

↑いつかの授業風景(教室はわらぶき屋根)




at 23:02|PermalinkComments(4) ブルキナ話 

2007年07月29日

すこぶる不調な日々

小・中・高とほぼ皆勤賞で、体力にもかなり自信のある私ですが、
ここ数日、体調不良でダウンしていました。
(おかげでブログの更新も少し間があいてしまいました)


症状のもっともなものは、体のだるさ。
とにかく起きてるのがつらくて、最初は休み時間ごとに
ベットで休んでいたのですが、いくら休んでも太刀打ちできなくなり
3日前から寝たきりに。その日は吐き気もあったので最悪でした。
おかげで食欲もなくなり、ますます体力が落ちるという始末。

吐き気はその晩にすべてを吐き出してからは楽になったものの
体のだるさは抜けず、熱も少しあったので、
一昨日午後、数日間重い下痢に悩まされていた
同期のうたちゃんと2人で近くの病院に行ってきました。


Cemmatra(スマトラ)病院。
ドクターが心臓治療で有名な人らしく、予約の患者で
いっぱいだったため、診てもらえたのは来院した3時間後の18時半。
その間待合室でずっと横になっていました。

JICAの古川さんが付き添ってくださったので、症状の説明も
すべてお任せし、私はそこに横になれと言われれば横になり、
腕を出せと言われれば腕を出し、というように、言われたまま動いてました。
いまはいいけれど、次からは病院に行くにも、症状の説明をするにも
すべて自分でしなければならないから、もっと強くならねばと思いました。


病院では、「明日検査して、検査結果をもって明日また来てみて」
と言われたので、栄養剤と下痢治療の薬だけ処方してもらって
薬局でそれらを購入してから帰宅。


不思議なもので、病院に行くと、いくらか元気になった気になって
その晩はおかゆをおかわりできたのでした。


  *   *   *

さて、翌日、このあたりでは珍しく3階建てのクリニックに
行き、血液の検査をしてもらってきました。
(本当は便の検査もしてもらう予定だったのが、どうしても
便が出ず、今日は断念)

朝は調子がよくて「全快宣言」をしたばかりなのに
だんだんとまた体がだるくなり、胸のあたりがもやもやとしだし、
歩くのもつらいという状況に。
少し息切れをしながらクリニックに着きました。


こちらの医療事情はいいうわさを聞かないのでビクビクしていましたが
採血も一回で痕も残さずにやってくれたし、使用済みの針は
ちゃんと専用のゴミ箱に捨てていたので少し安心しました。
(ちなみにそのゴミ箱にはユニセフのマークが書いてあった。
ユニセフが支援しているのかな?)

88873932.jpg

クリニックで渡された検便用の容器。アイスクリームが入ってそう?


昼ころに検査結果をもらい、また病気に行くと、
血液検査だけでは断定できないけど、マラリアや寄生虫の可能性は低く、
唯一肝臓のなんとかという数値が基準値より高いので
そのせいで疲れやすくなっているのでは、ということを言われました。
便検査の結果を見ないことには分かりませんが、体の異常が続いて
気弱になっていただけに、一応大したことなかったのでホッとして
帰ってきました。


  *   *   *


体がおかしくなってから5日目の日曜日の今朝、
調子はすこぶるよいです。
食欲もあって、いつもの朝ごはん、マンゴージャム+バター入りの
フランスパン(同期の間では「マンバ」と呼んでいる)とミルクティーを
摂ることができました。


ここボボでの研修も残りあとわずかで、明日には私たちのお別れ会があり、
明々後日の水曜日には首都のワガに戻ります。
そして、8月9日には「ブルキナのニジェール」、ドリ赴任となります。


減った体重はそのままで(←ここがポイント!2キロ痩せてました^^)
早く体調と体力を120%に戻せるようにがんばります~。



189860a5.jpg

クリニックの3階から撮ったボボの町。階段を上ること自体、
ボボでは初めてというくらい高い建物がない

1e8360af.jpg

「マンバ」をつくる同期のみーちゃん



at 23:20|PermalinkComments(3) 世間話 

2007年07月23日

ピクニックその2


日曜日の今日、ピクニック第2弾として、研修所から車で20分という
超近場にある、Koro(コロ)という観光地に行ってきました。


7cd97615.jpg

 ↑観光事務所の看板。入村料ひとり1000Fcfa


コロ村に何があるかといいますと、一言でいうと
小高い岩山の上に集落があるのです。
部族間紛争が絶えなかった1700年代後半ころ、
山の上だったら敵の来襲もすぐに見つけられるし、攻撃に対しても強い
ということで、いま住んでいる人たちの先祖が山の上に住み始めたのが
始まりのようです。


da392d97.jpg

 ↑あの岩山の上に集落がある(まだ見えないが)


最初はオトクトンという民族が、後にジュラ族も住み始め、
小さな岩の山の上には最終的に3つの集落ができ、
いまは全体で3100人が暮らしているそうです。
おもしろいことに3つの集落のうち一つは農業を、
一つは鍛冶屋と甕(かめ:液体を入れる底の深いつぼ型の陶器)
作り屋を、そしてもう一つは商業を生きる糧としています。

なので、農業で生計を立てている集落の人は、現在は雨期の間は
少し離れたところにある平野で農作業をしているので
一年のうち6~11月頃はずっと家を空にしています。
あと商人の集落の人も、日中は下山してボボ市内などで
売り子などをしているので、今回私たちがコロを訪問したときは
鍛冶屋・甕作りの集落の人としかほとんど会いませんでした。


c7f7fa7f.jpg

 ↑岩山の上の集落。ここは農業を糧にしている人たちの集落なので
人がほとんどいなかった



これらの集落には水道も井戸もないし、どこへ行くにも岩の間を
ぬって上り下りしなければならないので、生活するのは大変だそうです。
部族闘争がなくなった現代では要塞としての価値もなくなった上
まわりにはまだ耕していない土地もありあまるほどあります。
岩山での生活に見切りをつけても誰も文句はいわないはずです。

でも彼らはそこから離れようとしません。
なぜならば、自分たちの先祖が切り拓いた大事な場所だから。
先祖を裏切るわけにはいかない、という想いからだそうです。


集落の形態や歴史、そして困難な状況のなかでも
そこに住み続ける人たちの話にすごく惹かれてしまったのだけど、
ただひとつ残念だったのが、コロで会った子どもたちみんなが
物欲しげな目で「そのペンが欲しい」「お金欲しい」と言ってきたこと。
甕を作っていた女性も、「写真をとるならお金払って」と
言ってきました。


ガイドさんによるとよく外国人観光客がくるみたいなので、
そのせいで住民の人の目が変わってしまったのだろうと思います。
(私もその観光客の一人ですが・・・)
前のピクニックで行ったバンフォラは敷地内にあまり
人が住んでいないということもあると思いますが、そういう人
とはほとんど会わなくて気をよくしていただけに
今回は少しがっくりして帰ってきました。


cc72fba1.jpg

一応、お決まりの集合写真。一番前に座っているのは運転手のムサさん



*ちなみに、先週末の村ステイに続いて「町ステイ」ということで
木曜の晩から昨晩まで、ボボ市内(つまり「町」)の家庭に
夜だけホームステイさせてもらってきました。
夜だけだったし、金曜の晩は熱で研修所に残っていたので
村ステイほどはあまり生活の実態というのがわからなかったのですが、
ひとこと、「ブルキナにもこんな金持ち階級の人たちがいたんだ・・・」
ということを感想に持ちました。

今回詳しくは触れませんが、また何かの折に、
ブルキナのお金持ちについてお話できたらと思います。


at 02:10|PermalinkComments(0) ブルキナ話 

2007年07月22日

ぶるとも27歳に

突然ですが、今日は私の誕生日です。


1年前の今日は、その前日が協力隊の二次試験の日だったので
まだ協力隊に行けるかも、さらには第三志望にしていた
ブルキナに派遣されることになろうとも、知りもしませんでした。

それが1年経ったいま、ブルキナで大好きな仲間とともに
誕生日を迎えていることが、不思議なようですごく幸せなようで
なんとも感慨深いです。


27歳の1年は、とにかく前を見て、「挑戦」の年にしたいです。
足踏みをしてても靴底はへる。
どうせ靴底をへらすならどんどん前へ歩いていきたい。
それもたくさんの人と、笑顔で。


それと、感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。
この国に来られたのも家族・親戚、友人・知人、職場の恩人・・・
みんなの協力と応援があったからこそ。
この国で充実したスタートを切れたのも
8人の同期仲間やJICAスタッフや現地の人や大勢の方の力があったからこそ。


この恵まれた環境をあたりまえと思わないで、
日々感謝しながら過ごしていきたいと思います。



そう、甥っ子の誕生日ももうすぐなんです。
彼ももう、1歳になります。
会うたびにどんどん成長していく彼に負けないように、
私も成長できるようにがんばるぞ~!
注)体が大きくなることでなく、人間的にね。体はこれ以上(横に)大きくなっては困る・・・。


★今日はネットカフェの通信速度が最強に遅いので(1ページ開くのに15分!ありえない・・・)コメントのお返事はまた今度!

477797e7.jpg

同期仲間が祝ってくれました。今年8月から来年7月までの手作りカレンダーをもらいました♪(みんなありがとう!!)






at 02:41|PermalinkComments(8) ブルキナ話 

2007年07月19日

とうとうブルキナベに!?


お父さんお母さんごめんなさい。
娘ぶるともは日本を捨ててブルキナベになってしまいました。



8c69f125.jpg


はい、笑うなら笑ってください。
私は鏡に映った自分の頭に笑いが止まりませんでした。



アフリカに来たらいつかは髪をアフリカの人のように編んでもらうぞ、
と思ってはいたけれど、同期の女の子たちがみんなさっそく編んでもらって
いたので私も今日編んでもらうことにしました。

その結果がこれです。
あまりにおかしい髪型になってしまったので正面からの写真は勘弁させてください。


編んでくれたのは近所の仕立て屋で洋服を作りながら美容師さんの
仕事もしているアワさん。
隣の国・トーゴの出身で、ブルキナの首都ワガドゥグに働きに出てたときに
知り合ったブルキナベと結婚して早10年近く。
子どもは4人くらいいる。
話を詳しく聞いてみると、だんなさんには4人の奥さんがいて、
子どもは合計17人いるそうだ。ちなみにアワは3番目の奥さん。
一夫多妻制が認められているこの国でも実際にそうである人と会ったのは
初めてだったので、次から次へとわきあがる疑問を直接本人に
聞くのは失礼かと思いやめておいた。


・・・と、髪編みから話がそれてしまいましたが、
髪編みは3時間かかって、1000fcfa(250円)。
相場はもう少し高いみたいですが、それにしても3時間で250円とは。
時給いくらなのかは考えないことにしましょう。


ちなみにブルキナベだと2~3ヶ月、日本人だと1~2週間で
頭のかゆさに耐えられなくなったりほどけてきたりして、
髪をほどいてしまうそうです。
私は、ようやく鏡で自分の顔を正視できるようになっている
1週間後くらいにはほどくことになるのでは、というのが今の予想です。




at 22:34|PermalinkComments(9) 協力隊