2009年04月
2009年04月18日
マンゴー♪マンゴー♪
毎日暑いです。
熱風が頬に痛いです。
でも一年の中で一番キツイこの時期、マンゴーが最盛期です♪
暑さで食欲が落ちたときの救世主!
最近は毎日お世話になってます。
マンゴーはあちこちで売られていますが、
私はいつもこのおばちゃんの所で買います。↓
職場からの帰り道に必ず寄ります。
↑見てください、この種類と大きさの豊富さ。
値段は50F(10円)から250F(50円)のものまでいろいろあります。
雨の少ない私の町ではあまりとれないので
はるか700~800km離れたブルキナ南西部からトラックで
運ばれてくるため、値段もほかの町より高め。
とはいっても、1コ千円以上する日本とは比べ物にならないでしょう☆
↑よくこのベンチに一緒に腰掛けさせてもらっておしゃべり。
そして町の人間観察をしています。
ちょうど目の前の道が砂が深いところなので
バイクでよろけながら走る人たちの姿を笑うのが秘かな楽しみ。
そしておばちゃんの後ろで寝てるのは・・・↓
息子・イブラヒム!
ひよこ口のかわいいこと!
昼間の暑い中、「く~ す~ く~ す~」と
鼾をかきながら気持ちよさそうに寝てます。
起きてるときは私を怖がって私から逃げていくので
(6ヵ月~2才半くらいの子どもは特に色の白い私たちを怖がる)
こんな間近で眺められるのも彼が寝ているときだけ。
(早く仲良くなりたい・・・)
日本に帰ったらマンゴーもなかなか食べられなくなるから
帰国までの2ヵ月間、飽きるまで(飽きても!)
食べ続けようと思います。
マンゴー♪マンゴー♪
日本の皆さん、
羨ましかったらブルキナに来てみろ やい!
(弟あたりからのツッコミ待ってます)
2009年04月13日
マザーテレサにはなれない
≪「貧しい人のために」仕事している人の中で、
どれくらいが物乞いの子どもに笑顔を向けられているだろう―≫
ブルキナに来て4ヶ月くらいしたとき、
街中で群がってくる物乞いの子たちを
疎ましく追い払っている自分にはっと気がついて、
そんな自分に失望したことがあります。
貧困を何とかしたいと思ってここに来たのではなかったのか、
それなのに一番たすけを必要としている子たちに
笑顔の一つさえあげられない私は何なのかー。
≪「環境のために」仕事している人の中で、
どれくらいが環境のことを思って、したいことを我慢しているだろう―≫
子どもたちに対して、偉そうに「環境教育」をしている私。
木を植えよう、薪を節約するために改良かまどを使おう、
木は切らないようにしよう、ごみを減らそうetc.
でもたぶん、教えているどの子よりも、
私が一番贅沢な暮らしをしてごみを出してるし、
電気を使ってるし、紙を使ってるし、
排気ガスを出してる(おならのガスじゃなくてバイクのね☆)と思う。
そんな私が、あれこれ言う資格はあるのかー。
この業界に限らず、特に公共の仕事をしている人たちは、
「~のために」という言葉をよく使う傾向があります。
政治家なんか特にそうです。
しかし立派な大義名分を振りかざす私たち自身、
そこにどれだけの「心」と「真実」を込めているだろうか。
うわべだけの現実に気づく度、
自分は、この世界は、なんて偽善的なんだろう、
ビジネスの方がもっとシンプルで嘘がない、と思ってしまいます。
とはいえ、皆が皆、「マザーテレサ」にはなれませんし。
ただ私自身、無責任で偽善的な言葉をできるだけ
発さないように戒めたいと思う今日この頃です。
立派な言葉はいらないから、そのかわりに
物乞いの子どもと少しでも多くの笑顔を分かち合って、
少しでもごみを減らす努力をして、
バイクを使わずに歩くようにしようと思います。
* * *
話は変わりますが、4月12日はPaques(パック、英語ではイースター、
日本語では復活祭)というキリスト教のお祭りの日でした。
前日晩と今日の朝のミサには行けなかったのですが、
昼前からクリスチャンの知人宅まわりをしました。
計6軒。よくしゃべって、よく食べました。
でも今回は計画的に食べたので、クリスマスや
元旦のような失敗はもうしませんでした。
(行く先々で出されるものを必死で食べて、後でゲロ下痢)
これも成長の証!?
↑私の愛するジュールの家で。ジュールママと近所の子たちと
↑活動させてもらっているD小学校の校長と奥さん
(奥さんも別の小学校の先生)と一人息子のオーギュス。
もう6ヶ月になるオーギュス。よく笑ってみんなのアイドルです
2009年04月06日
「育樹」の敵は・・・
灼熱の4月に突入しました。
雨が降り始める5月末までの約2ヶ月間が、
この国でもっとも暑い時期です。
乾燥も激しいのでリップクリームは必需品ですが、
先日、昼間に使おうとしてキャップをはずしたら、
棒状のはずのリップが液体になって容器からこぼれ落ちて
一瞬あ然としてしまいました。
* * *
さて今回は、昨年8月、D小学校に植えた木は
その後どうなったのか、という話を少ししたいと思います。
(植樹報告は9月のブログをご参照ください)
当然のことですが、植樹というのは、
植樹そのものに意義があるのではなくて、
「植樹後」にこそ意義があります。
植えた木がその後枯れてしまったら意味がないわけです。
それで思い出すのは3年前、スマトラ沖地震の復興支援活動の
取材でタイ南部に出かけたときのこと。
大きな被害を受けた海岸沿いに植樹の跡が見えるものの
ちょんと生長している苗木は一本も見られません。
地元の人に聞くと、
「国際NGOのメンバーが地元の人と植樹セレモニーをして
写真を撮って帰っていったがその後の管理がされなかったため枯れてしまった」
とのこと。・・・ため息が出ました。
本当に大事なのは、植樹ではなくてその後の『育樹』のはずですが、
このような植樹だけで満足してしまうケースはどこでも見られます。
* * *
話をD小学校に戻します。
植樹から8ヶ月が経ち、毎週何回か訪れて様子を見守っていますが、
これまでに感じたのは「育樹って難しい」ということです。
丈夫な柵をつけて、児童らが校長や先生の管理のもと
水遣りをしているから万全だと思っていたら
そんな簡単な話ではありませんでした。
最大の敵は、動物とヒトです。
柵の横からちょっとでも葉がはみ出ると、すかさずヤギが食らいつく。
苗木が上に伸びて柵の上から葉がはみ出ると、
今度は牛が食らいつく。
そして動物以上にコントロールできないのが、ヒトです。
子どもか大人かは分かりませんが、おそらくちょっとした
いたずら心で苗木の幹や枝を折っていくのです。
先日、校庭に植えた20本のニームの木の中で
群を抜いて生長のよかった木が幹ごと折られ、
校長や児童らとともに肩を落としました。
その木の幹はほかの木と比べて2~3倍は太く、
高さも2メートルを超えて一番期待をかけていただけに残念でした。
校舎の前に植えた15本のテベシアの木は
まとめて柵で囲っているため何の被害もなく順調に育っていますが、
校庭に植えた20本のニームの木はこれで20本ともが
動物かヒトの被害を受けたことになります。
動物による被害はある程度想像していましたが、
ヒトによるものは予想外でした。
時間はかかるけれど、『啓発』を地道に続けていくことが
育樹を成功させる一番の近道だということを改めて感じました。
↑テベシアに水遣りしてる子たちを撮っていたら・・・
↑みんなが寄ってきた!
(収拾がつかなくなるのでここで撮影終了)
* * *
育樹といえば、この間うれしいことがありました。
学校のPTA会の会議に参加させてもらったときに
去年植えた木の管理についての議題も上がったのですが、
そのときにPTA会長さんが、
「ここにいる日本人ボランティアが私たちの学校のために木を植えてくれた。
今度は私たちがこれらの木をいかに守っていくかを考えていかなければならない」
と役員の前で話してくださったのです。
結局その日には、動物や人対策として、
柵のまわりにとげのついた木の枝を置く、ということになりました。
会議の後1ヶ月が経過してまだ何の行動もとられていませんが(苦笑)、
PTAの人たちや学校の先生たちが「学校の木として守っていかねば」
という意識になってくれていることだけでも
私には大きな励みになりました。
(行動もすぐに伴えば言うことなしだったのですけどね)
* * *
同校では、今年も苗木生産を行います。(今月開始)
今年の生産予定数はなんと5000本!!
PLCEというプロジェクトに買い取ってもらえる予定です。
本数も相当ですし、プロジェクトに買い取ってもらうために
ある程度の質が求められるということで、
これを児童中心にどうやって運営していくか、ということを
いま校長やPTAの人たちと話し合っています。
容易なことではないと思いますが、うまくいけば
学校の口座に20~30万Fというお金が入り、
来年度の児童一人あたりの負担金を減らしたり
学校の設備を整備することができます。
成功するように、私もできるだけの協力をしたいと思っています。
まとまりのない長い文章になりましたが、以上!